Image199.jpg
5月3日 三國湊座 夜7時スタート(だったかな?)
6月14日 HALLBEE アンビエント 夜7時スタート(だったかな?)
6月15日 CCLemonHALL(旧渋谷公会堂)ワンマンLive~チャカちゃんの独りヨガリ~
夜7時スタート(だったかな?)
6月16日 CLUB CITTA'(屋上)プロモーションLive「冷えピタの限界Live」スモスナ、バンジーズ、モノバウ、ネオユニ、テンテコ、マイマイズ  夜7時スタート!
6月17日 ClubQUATTRO バンジーズLive 夜 …ス、スタート!
6月18日 日本武道館 トータルテンボスと対バン 夜。
6月19日 下北沢 夜。
6月20 夜。
6 夜。渋谷Loft
15日からは嘘。
なんやかんやで毎月一回くらい弾き語りが出来る事は嬉しい。時々歌いたいのさ。聞いてもらいたいのさ。
ギターを触り始めたのは高校3年くらいか。友達が使ってなかったアコギ(キャッツ・アイ)を貰い、古いフォークソングブックで細々と練習していた。
歌いながら覚えてられないコードを押さえて、「チャコの海岸物語」や「恋に落ちて」や「氷の世界(古過ぎてしらなんだわ)」を家で練習?していた。メリージェンもあったな。ウケる。
家で自己満足でやれればそれでよかった。と思っていた。
学校を卒業したころだったか、ちょうどコードに慣れてきたころ、巷でSPITZのロビンソンが流れていた。すごくすごくすごく衝撃だった。SPITZなんて知らんかった。
んじゃこのへん終わるで。
えー!?うそやーん!?
ちょっとギターを弾けるようになると、今度は外で弾きたくなったりするもので。よっちゃんと夜の海でギターを弾きに行った。気持ち良かった。
ちょうどその頃、新聞に路上のストリートミュージシャンの記事が載っていた。叔母が「これ、ヒロちゃんの知り合いでないの?」
知らん。今時弾き語りなんて…洒落てるな
と思っていた。
「チーマーとか、怖い人らじゃねんかな」て言ったような気がする。
その夜だか、数日後かにヨッチャンが家に来て、
「ヒロキ!ピア行くよ!」
って連れ出され、新聞に載っていた人達の中に親類がいるって言った。
あの日が、今の俺の音楽の始まりになるかな。
ピアの正面階段の下に4、5人、柄のわるそうなロン毛の人1人、仲に入ればみんな優しかった。
その中にヨシロー君はいたね。
時にヨシロー君は、ハミングバード(偽)を掻き鳴らして、歌い終わった瞬間に弦をバツバツひきちぎりだしたりするキレ者だった。おもしろい人だ。
でも、よくハモってもらった。今でも思うけど、テルちゃんとヨシロー君のコンビが1番しっくりでよかったよ。
ほとんど毎日通ってたな。なのにちっともギターも歌も上手くならなかったな。どないなっとんねん。ギター向いてないかな、いや、努力が足りないんじゃよ。
歌王ソングコング先生のせいにしとくか。
あの日、もしなにか違ってたら、今の音楽活動はなかったな。オリジナルなんて作ってなかったかもしれん。始めた頃はオリジナル作るの寒いと思っていたし。ミッチャンが作りねって言わんかったら、作ってなかったかもしれんわ。
つーか、これ同じ日記前に書いたな。
えーと、何言いたかったんや?告知だけやで、ここでやめるわ。
最後に一言
「最低でも金、最高でも金、菅井でも金、愛川はキンキン」
こりゃまたすべっちまったかな。
これも前使ったけな?
チャカの快感物語
(これは初やな)